私の祖母は生前、
伯父が建てた一軒家に
住んでいました。
そして、伯父が病気で
他界してしまった取り為、
その家に独りで
取り残される事になりました。
当時はまだ、認知症の初期症状で
物忘れが多かったり、
お風呂を入る事を
忘れてしまったりくらいで、
生活は自分でなんとかする事が
出来ていました。
しかしながら、
私の自宅とその一軒家は
車で一時間以上離れていたため、
何かあってもすぐ駆けつける事も
出来ないし、
独りでの生活は
困難ではないかと、
私を含む親戚一同の話合いで判断をし、
私が住む自宅から10分程度の
介護付き有料老人ホームに
入居する事になりました。
そこに入居している際にあった
印象的なエピソードがあるので
書きたいと思います。
認知症について、あまり身近に
例がないという人にも
症状や病気がどのようなものなのかを
感じてもらえたら嬉しいです。
私の祖母はキヨと言う名前でした。
現代では珍しい名前ですが、
大正生まれの人には
結構多い名前のようです。
私は伯父の他界後、
毎日のように祖母に
会っていたので、
親しみを持てるように
あだ名をつけました。
その名も「キヨピー」です。
お年寄りにあだ名なんて
失礼と思う人もいるかも
しれませんが、
私としても毎日毎日
祖母のお世話や
手続きやらしているうちに
このあだ名を思いついて、
亡くなるまで使い続けていました。
キヨピーは、
当初老人ホームに入る事を
酷く拒否していました。
「私には、息子が建てた
立派な自宅がある
こんなところには入らない!」
の一点張りで、
体験入所の時などは
大暴れで大変でした。
(施設の方に
嚙みつこうとしたとか)
無理もないと思います。
今まで自立してやってきて、
女手ひとつで
(離婚してシングルマザーだったため)
二人の子供を育ててきた。
その二人の子供にも先立たれ
天涯孤独になってしまった。
一番近い20代の孫
(当時の私です)
にあーだこーだ言われて、
知らない土地に連れて来られて
知らない施設でこれから
一生暮らすなんて
誰だって、簡単には
受け入れられない事だと思います。
そして入所する時期にも
認知症は少しずつ
進行していました。
私と施設の方で説得をして、
「仮に住んでもらって気に入ったら
ここにずっと暮らしても良いですよ!」
と説得を繰り返して、
なんとか数日施設で
過ごしてもらいました。
数日すると気持ちも
落ち着いてきたのですが、
今度は、他の問題が発生しました。
老人ホームは原則として
自由に外に出られないのです。
(多くの老人ホームが
同じようなルールを
設けていると思います。)
施設に入居するという事は、
入居者は施設内で介護を
受けることが出来るし、
安全などに配慮された環境もあり
自宅にいるよりも快適に
過ごせるといったイメージを
持つ方も多いと思いますが、
その反面、日常生活では
当たり前に出来る事が、
できないという不自由さがあるのです。
集団生活をする中で、
食事や入浴の時間や
起床や就寝の時間なども
ある程度定められている所も
多いと思います。
夜は介護職員の人数も
限られてしまうため、
自由にふらふらと
出歩くといった事も
難しい施設が多いのではないでしょうか?
安全に生活が出来るがゆえの
不自由さであり、
老人ホームに入居する場合には
ある程度受け入れる必要が
あるかもしれません。
介護士の方、ケアマネさん、
看護士さん、調理師さん、栄養士さん、
そして施設で働く全ての方は
入居者が快適に過ごせる環境を
作るために日々努力し、
いろいろと考えてくれているのです。
しかしながら今までずっと
一軒家で自由に過ごしてきた
キヨピーにとってはとても
辛い環境だったようです。
特に、前述した
「一人で外に出られない」は
毎日、健康の為に散歩していた
キヨピーにとっては
辛いルールでした。
施設の方とも相談をして、
一日に一回程度だったら
施設の方の付き添いで
散歩をする事を
許可してもらえました。
その日から、天気の良い日は
介護士さんと近所を
散歩できるようになりました。
(認知症もあり、散歩した事を
すぐに忘れてしまい
何度も何度も行きたいと
騒ぐ事も多かったようですが・・・)
そんなこんなで
入所当時はトラブルの連続でした。
(本当に施設の方には
よくしていただいて
今でも感謝の気持ちでいっぱいです。)
そして、施設の生活に
少し慣れてきた時の
ある印象的エピソードがあります。
入所直後は、本人も慣れない為
私も毎日のように施設に
通っていました。
(休みの日や仕事が
終わってからなど)
そうするとキヨピーが
「よく来たね」と言って
嬉しそうに毎回迎えてくれます。
1日で起きた事を話したり、
家に帰りたいという話を
毎回のようにするので、
何とか毎回説得をしたり
数十分程度でしたが
慣れない施設で不安だろうと思い
一生懸命話を聞いていました。
そして毎回、帰り際に
引き出しから
古い茶色のがまぐちを出して、
私にお小遣いをくれようとするのです。
施設では、認知症などで
自己管理ができない入居者は
金銭を持つことを原則禁止されています。
(紛失などを防ぐため)
そのがまぐちには、
ほんの少しだけの小銭が
入っています。
(施設の支払いなどの関係で
キヨピーの通帳やお金は
全て私が管理していました。)
毎回それを断るのが恒例行事でした。
きっと、私が子供の頃の
お年玉や遊びに行った時の
記憶が残っているのかもしれません。
帰り際はいつも
切ない気持ちでした。
キヨピーはその後、
老人ホームで余生を送り、
老衰で他界しました。
93歳でした。
そのがまぐちは今、
私のところで大切に
保管しています。
このがまぐちを見ると
当時の事をいろいろと
思い出します。
大変な事の方が
断然多かったけれど
多くの方に支えられ、
認知症という病についても
身をもって学ぶことが
多くありました。
私が経験してきた事が
同じ様な状況の方へ
役に立てれば幸いです。
今回は以上です。
ではまた
下の写真が、キヨピーのがまぐちです。
小銭も当時のまま中に入っています。
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