49ページ目 母を失った妹を優しく包んでくれたヘルパーのみなさん


あなたは、「未成年だった頃の別れ」
印象に残っている事はありますか?


私が未成年だった時の
身近な別れと言えば、
遠い親戚のおじいさんが亡くなったり、

「ペットの金魚」
「飼っていた犬」
死んでしまった事
くらいでしょうか?


それでもその時の衝撃は大きく、
何日間も落ち込んだり、食事が喉を
通らなかった事を思い出します。


それが、自分の両親や兄弟だったら
どうでしょうか?

まだ社会に出る前の
「大人になった自分」を
見届けずに もしも天国に
行ってしまったら・・・


この記事を読んでくださっている方々も
さまざまな経験を
乗り越えて来ていると思います。


「相続」というキーワードで
来ていただいている方は、

今まさに「身近な方との別れ」
直面しているかもしれませんね。


私の場合ですと、
今回相続に関わった親戚が
亡くなった時には、
すでに成人していたのですが、

私の妹は、母が急死した時には
まだ「高校2年生」でした。


その時の状況や心のケアについてなど、
どういった状況だったのかなどについて
書いてみたいと思います。


私の母が急死してしまった時の
葬儀での話なんですが、
沢山の方にご列席いただきました。


母の仕事の同僚や友人、知人などは
大粒の涙を流されている方も多く、

ある日突然、
急に会えなくなるショックは、
家族である私と同じく、喪失感は
非常に大きなものだと思います。


喪主である私は、列席いただいた方へ、
丁寧に挨拶して回りました。


そこで 一番多かった会話の内容が、
「私の妹を心配する声」だったのです。


大粒の涙の理由が、母の死以上に、
「私の妹の今後を考えると」という
気持ちからの方が多いように感じました。


私は、まだその頃20代で人生経験が浅く、
(今もまだまだ勉強中なのですが・・・)
その感情にすぐにピンと来る事が
できませんでした。

ただ今なら、痛いほどわかります。


高校二年生で女の子、これから進路や
今後の事を考えて行く時期で、
突然の母の死。

兄弟三人いるとはいえ、
20代で親代わりと簡単に言うが、
自分の生活もままならない社会人一年生の
長男(私の事)が本当に
しっかりやっていく事が出来るのか?

そして、気持ちの面についても、
心のよりどころだった
母の穴を埋める事は難しく、

妹の心が病んでしまわないか?などを
一番に心配してくれたのだと思います。

(本当にその節は多くの方に
 お世話になった事を
 今でも感謝しております。)


私も子を持つ親となって、
例えば友人が同じ環境で
他界してしまっても
今であれば同じような感情を
持つかもしれません。

その友人との別れは
もちろん悲しいけれど、
その後の家族の人生に
厳しい逆境がある場合、

きっとそちらの方を
心配してしまうと思います。


・その後、お金の事は大丈夫か?
・強い喪失感によるうつ病など
 メンタル的な事は大丈夫か?

など

お通夜・お葬式が終わると、
火葬され、お骨となって
自宅に帰ってきます。


そうして、徐々に日常の生活に
戻り始めると、
いろいろな事が冷静に見えてきます。


妹は高校二年で、
進路を決める大事な時期でした。


周りの大人は、
いろいろとアドバイスをしてくれます。

しかしながらまだ子供の妹は
素直にそのアドバイスを
受け入れられない事もままありました。


私としては、
手に職をつけてもらいたいとの思いから、
母の生前の職業だった「看護師」
どうかと思っていました。

(知り合いも多く、アドバイスも協力も
 たくさん受ける事が出来るため)


しかしながら、
本人のその意思がありませんでした。

(母を失った喪失感が癒えない状態で、
 将来への希望が
 持てなかったかもしれません。)

それは、生涯看護師だった
母の背中を見て育った妹には、

看護師という職業は
大変でしんどい職業
映ったのかもしれません。


出産の時以外は、
ずっと常勤(フルタイムの正社員)で
働いていた母。

朝は早く出勤をして、
帰宅するのは遅いと20時を過ぎる事も
あり、手の込んだ料理などを
作ってもらった思い出も
少ないのは確かです。

私も小学校三年生から鍵っ子で、
いつも学校から帰っても
母はいないのが当たり前で、
弟と一緒に毎日ゲーム三昧でした。

(それはそれで楽しかった
 思い出でもありますが・・・)

だから、
たまに友達のお宅にお邪魔して、
その子のお母さんに
おやつを出してもらったり、

お話をする事がとても新鮮でしたし、
うらやましい気持ちもありました。


妹も同じく
そんな幼少時代を過ごしているので、
なんとなく良いイメージが
ないのかもしれません。

(看護師の方の仕事も
 いろいろな形態があり、
 夕方に帰宅できたりする所も
 あるのかもしれません)


そんな感じで、
妹の進路は決まらずじまいだったのですが、

ある日私の介護関係の知人から話を頂き、

高校三年生の時に、
「職業体験」という形で、
アルバイトをさせてもらいました。


そこで、
生前の母と同じくらいの年代の方
囲まれて いろいろな話をしたようです。

人生経験豊富なヘルパーさんたちは、
各家庭を回り、
さまざまな方の介護をしています。

そんな彼女たちは
いろいろな境遇の利用者様と
接する事も多く、とても懐が深いのです。

(私自身も、いろいろと
 勉強させてもらいました。)

どこまで行っても、
母親代わりにはなれない私に代わって、
職場に温かく迎えてくださり接してくれた
事により、妹も幾分かの孤独感から
解消されせいか、

精神的に不安定になる事はなく
前向きに今後の事を
検討していくことができました。


そしてその後、介護の資格を取得し、
卒業と同時に、介護関係の仕事で
病院に就職できました。

そして今では、結婚し子供も授かり、
忙しく毎日過ごしています。


人生の岐路に高校生という若さで
立たされても、くじけず、へこたれず、
前向きに来れたのも、
周りの方の助けがあってのものだと
実感しています。


相続手続きは、
頑張ればいつかは終えることが出来ます。
(内容や家族の形態などで
 大変なケースもあると思いますが)

しかし、心のケアや喪失感は、
個人差があり、
その悲しみが癒えるまでに

時間がかかる人も
多いのではないでしょうか?


しかし、そんな厳しい時にも、
手助けになってくれる人が必ずいます。

日々、周りの人との関わりも大切にして、
反対に困難な状況にある人がいれば、
自分が出来る事であれば、
小さなことでも手助けできる準備だけは
しておきたいと考えています。


このブログも、
ありがたい事にすでに多くの方に
読んでいただいています。(感謝!)

読んでいただいた方の心が
少しでも楽になれば
との思いで日々更新していますし、

これも何かの縁だと思って、
今後も読んで頂けると
嬉しいです。


ご意見、ご感想などありましたら、
コメント欄に書いていただけると
嬉しいです。


今回は以上です
ではまた

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