15ページ目 末期がんの伯父さんが緩和ケア病棟へ  そこで唯一拒否した事とは 

私の伯父さんは、
とても優秀なビジネスマンでした。

幼少期に家が貧しくて
キチンとした教育を受けることが
出来なかったようですが、

地元の信用金庫に就職後、
大手IT企業に「トップハンティング」されて
亡くなる少し前は、
専属の秘書さんがつくほど
忙しい人でした。


そのため、健康には
人一倍気をつけていたようで、

少しでも不調があると
すぐに病院に行っていたそうです。


初めてがんが見つかったのも、 
少し耳の聞こえが悪い

という事で行った病院で
偶然見つかって、
初期の段階で手術をしました。

手術は成功と思われましたが、
その後の通院で、
がんの取り残しがある事が判明して、

がんの場所も、
外耳道(耳の中の鼓膜よりも外の部分)
にあり 手術は難しい事が判明し 
余命宣告を受けました。
(もって数か月くらいという事でした)

ちょうどその頃、
私の母もまだ生きていて
生前の職業が看護師だった事もあり、

知り合いの紹介で
緩和ケアセンター
入所する事ができました。

緩和ケアについて、
ご存知ない方もいると思いますので、
簡単に説明をしますと、

がんなど、
根治(完全に病気を治す事)
する事が難しい病に対して、
治療を施すのではなく

本人の痛みや苦痛などを取り除く事を
目的としたケアの事です。

緩和ケアの病室は、
ベットこそ医療用の物を
使用していますが

それ以外は、
普通のホテルのような雰囲気
落ち着いて過ごすことができます。


私はそこへ伯父さんの
入所の手続きから
亡くなるまでのお世話しました。


会社とのやり取りのお手伝いや
家の物の整理や
資産に関しての引き継ぎ
(株式投資など
資産運用をしていたため)

近親者や祖母
(伯父さんがいなくなると
独居になってしまうため)
の事などいろいろとやる事が
沢山ありました。

伯父さんからしたら
私なんかのヒヨッコ
身の回りの世話をしてもらう事自体、
不本意だったと思います。


結局、入院病棟から
緩和ケアに移って1か月くらいで、
亡くなってしまったのですが、

私にとっては
とてもとても濃密な時間でした。


最初のうちは、
聞き取りずらかったけど
(喉に管が入っていたため)
会話ができて、

でも少しずつできなくなって、
元気な時間が減ってきて
ついに話が出来なくなって
しまってからも

携帯のメールで
やり取りができてました。


そのメールも
どんどんできなくなり、

最後は内容も支離滅裂に
なってしまっていました。


私は、伯父さんが
生きているうちにやりたい事

会いたい人などいれば、
すぐにでも来てもらった方がいい
とずっと思っていました。

でも、伯父さんはそれを
かたくなに拒否しました。

結局、入院病棟、緩和ケアに来られた
友人・知人の方は
1人もいませんでした。
(友人に連絡する事を本人が
 強く拒否したのです)

亡くなった後に、伯父さんの
携帯電話の着信履歴などから

私が連絡をして、
通夜や告別式には
参列してもらいました。


末期がんになり、

以前のように回復する見込みがない
変わり果てた自分の姿を見せたくない
病棟に来てもらったってなにもできない


そんな気持ちだったのかもしれません。

私が仮に同じ状況に
なったとしたら、

伯父さんと同じ様に面会など
来てもらわずに
死にたいと思うかもしれません。


これを読んでくださっている方は、
同じように介護をなさっていたり、

闘病の付き添いを
されている方もいるかも
しれません。

今はしていなくても、今後
そういった経験を
される事があるかもしれません。


その時、その人にとって
良い事を常に考えて、
やってあげるのもやさしさですが

私個人としては、黒子のように 
相手に気を遣わせずに、

最低限の本人の希望を答える事が、
良いのではないかと思います。


今回は以上です。
ではまた

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