31ページ目 突然死、病死(がん)、認知症の三人に寄り添ってきた私が日々意識している事


あなたは「人生の最後」に
どんなイメージを持っていますか?

・家族に囲まれてベッドの上で
・病院の病室で
・自宅の部屋で独りで
・事故や災害により不本意な
 タイミングで


などなどいろいろな
想像ができると思います。


ただ、
その最後のタイミングを
自分の意思で選ぶことが
できないのは、

なんとなく気づきながら
生活しているのでは
ないでしょうか?


そんな人生最後の事なんて
考えたくないって人も
いると思います。

それはホントに
その通りだと思います。

人生は今が大切!

過去や未来を心配するよりも、
今を大切にして全力生きるのも
素晴らしい考えだと思います。


でも、そんな事わかっていても
なんだか心配になってしまうのが

将来の事
老後の事
これからの事・・・


今回は、タイトルにありますように
「突然死、病死(がん)、
 認知症の三人の親戚に
 より沿った私が考える
 日々、日常で意識している事」

について書いていきたい
と思っています。


まず1つ目に「突然死」

これは本当に
ショッキングですよね。

例えば、交通事故によって
亡くなってしまうとか、

病気などしていないくても、
容体が安定していても

急に体調を崩して当日や、
ものの数日で亡くなって
しまうような事がこれに
あたります。


私の実母はこれに当たります。
本当に厳密にいえば、
「準突然死」ですね。


なぜ「準」なのかと言いますと、
それは、日常生活で
通常の方以上の不摂生
あったからです。


母は看護士で離婚後に、
一人で私たち兄弟三人を
育ててくれました。

(最後には立派な一軒家も
 建ててくれました。)

看護の仕事は激務だと
よく聞きますが、

本業の病院で看護の仕事を
しながらも、休みの日も
ヘルプ要因として

知人の病院のでも
仕事をしていました。
(働きすぎですね)


また今後、収入を増やすためにも
ケアマネ(介護職の資格)の資格の
勉強なども始めていました。

(結局、生きているうちに
 取得することは
 できませんでしたが・・・)


そして僕ら三兄弟も
どんどんと大きくなります。

学費がかかったり、塾に行ったり、
習い事をやりたいと言い出したり、
家計は火の車だったと思います。

(死後に片づけをしていて、
 母の家計簿が出てきたのですが
 とても苦労していた事を
 知りました。)


そんなことはお構いなしで
僕ら三人は毎日楽しく過ごし、
すくすくと大きくなっていきました。


その間も母は休まず、
仕事の愚痴も言わず
実直に真面目に働きました。

その頃から見えないストレスが
母にはあったのかもしれません。


タバコにお酒
(1日缶チューハイ数本程度)
たまの休みはパチンコが好きでした。
(どのくらい使っていたかは
 わかりません)


そのうち体にも
少しずつ変化が現れます。

運動嫌いの母、
少しずつ体重が増えてきて
(顔は痩せていたため
 あまり目立ちませんでしたが)

血圧が高くなり、亡くなる前には
毎日「血圧の薬」を飲むようにまで
なってしまいました。


ここまで読んでくださった方は
「看護士なのに?」と
疑問に思ったかもしれませんが、


・看護士だし健康管理とか
 気にしなかったの?

・病院に勤めているのだから
 健康診断とかで体調の不調が
 わからなかったの?

と思われた方がいるかもしれません。

そうなんです、母は
大の病院嫌い(笑)だったのです。


こう書いてしまうと
語弊があるかもしれませんが、

母は仕事としての看護は、
誇りを持ち誠心誠意
頑張ってきたのですが、

とかく自分の健康に対しては
無頓着
で改善する気持ちも
ありませんでした。

健康診断もあまり受けずに、
「多分、たくさん引っかかるから!」

と言って 拒否していた事を
子供の頃の会話で思い出します。


元からの芯が強い性格もあり、

離婚して、自分しか
頼れるものがいない
という気持ちから、

自分自身の健康を後回しに
していたのではないか
と思います。


そして母は、
私の結婚式に参列した翌日に
死んでしまいます。


次に「病死」です。
これは私の伯父さんですが、

仕事も順調に行っていて、
健康診断もキチンと受診をする。

もし不調があっても、
それをすぐに治す為に、
最良、最善を尽くす
タイプの人
でした。


体は大柄で筋トレを日々していて
(骨壺に入らないくらい
 骨がしっかりしていて
 大きかったです!)
スポーツ万能でした。

ゴルフをしたり、
スキューバーをしたりと
アクティブに動き、
人生を謳歌してました。


また、車やバイクも好きで、
若い頃から 革つなぎを来て、
千葉の山の中を走っていたようです。


そんな充実していた中、
耳の聞こえが悪い
という事で病院に
かかった事がきっかけで 

検査で初期のがんが見つかり、
すぐに手術し切除しました。


しかし数年後、そのがんが
全身に転移してしまい、

さらに難しい場所だった事もあり
手術が出来ず、余命宣告されて

最後は、緩和ケアセンター
(治療などは最小限にして
 痛みを和らげ、穏やかに
 余命を過ごす場所)
にて亡くなりました。


少しずつ衰弱していき、
大男だった伯父さんが、
おじいさんのようによぼよぼ
なっていくのは、
とても見ていてもつらいものでした。

でも、人生最後の伯父さんと
深く関わる事が出来て私は
とても幸せでしたし、

いろいろな面で
成長させてもらえた
と思っています。


最後に「認知症」です。
これは、私の祖母
(愛称はキヨピと言います)です。


キヨピも、真面目を
絵に描いたような人で、

子供の頃、お泊りに行けば
キチンとおもてなしを
してくれましたし、

トイレやお風呂はいつもピカピカ!
お花も好きで、庭なんかは、
プロじゃないかと思うくらいに、
良い状態に管理されていました。


元気な頃は仕事をしていて、
(詳細はよくわからないのですが、
 近所のしょうゆ工場に
 勤めていたと聞いています。)
ずっと辞めずに働いてきたそうです。

会社の悪口などは
聞いたことはなく、

一年に一度の旅行があり、
いろいろな所に出かけられて
とても嬉しかったと話して
くれていました。


認知症であると感じた予兆は、
末期がんの伯父さんの事で

私が祖母の自宅
(伯父さんが建てて
 二人で一緒に住んでいました。)

に頻繁に行くことになった時に
気づきました。


冷蔵庫などは、賞味期限が
切れているものが多くあり、

お風呂やトイレもあまり
清掃していない感じでした。

庭も以前のような
キレイな状態からはかけ離れていて、
雑草が好き放題生えている感じでした。


伯父さんが亡くなったあと、
私が祖母の一番近い親族となり、
ずっと一緒でした。


母、伯父の葬儀終わってから
キヨピの住む場所はどうするとか、

ホームに入るならどういったとこが
良いとか 選択することは山積みで、

このブログのタイトルにもある
相続手続きも進めていく事になりました。


最終的には、
老人ホームの自分の部屋にて
苦しむ事なく、老衰で亡くなりました。
(事前にホームの方が
 連絡をくれたので、
 最後の時に一緒にいる事も
 できました。) 


こうやって見ると、
母を除く二人は特に、

・まさか甥っ子に
・まさか孫に


面倒を見てもらうとは
元気なうちは
夢にも思わなかったのでは
ないかなと思います。
(私だってビックリしましたが)


人生は、どうやったって
独りだけでで生きていく事は困難で、

頑張って誰にも迷惑を
かけたくないと思っても
難しい事もあると思います。


この世に生まれて来たその日から
誰かの助けを受けて生き、

また誰かを助ける事で
人生を営んでいきます。


ちなみに
「お世話」を辞書で引くと、
①めんどうをみること
②手がかかって厄介なこと
とあります。


家族のお世話というと、
美しいイメージを持つ人も
いると思いますが、

面倒で厄介な事を
するという意味です。


多くの人が
「誰にも迷惑かけずに死にたい」
と言います。

生涯独身でいる方が
多くなっている昨今、
どうやったら誰かのお世話に
ならずに済むかを
真剣に考えている人も
多いでしょう。


こんな私だって思っています。

嫁や子供に迷惑をかけてまで
生きるなんて嫌だって!
(あなたはどうお考えですか?)


では、認知症の介護や
病人のお世話は、
本当に、だれもがやりたくない
面倒な厄介な事なのでしょうか?


誤解を恐れず言えば
「好んでやりたいという人は
ほとんどいない」


と言っていいのでは
ないでしょうか?


だったら、そういった状況に
なってしまう前に
どうしたらいいのか?


ここがこの記事の結論であり、
私は日々心掛けている
ことになりますが、


自分が元気なうちに
「徳を積む事」だと思います。
(宗教的な意味はありません。)


下心なく道に落ちているゴミを拾い、
横断歩道でもじもじしている
おじいさん、おばあさんを
自然に渡らせてあげる。

困っている人がいて、
自分にできる事が
あれば率先して動く。

もし、動くのが恥ずかしければ、
その人がうまくいくように
見守ることでもいい。

周りにとって良いと思う事を
どんどんと惜しみなく、
損得など考えずに行動する事!


そういった事を
生涯に渡って続ける事で
仮に、不本意にだれかの
世話になってしまう日が来ても、

自分勝手に自身の事だけを
考えて生きてきた人生よりは、

少しは納得感が持てるでは
ないかと思います。


これが三人の死に
寄り添ってきた
私の一つの答えであり、

日々 意識して
生活している事です。

きっとこれ以外にも
いろいろな意見や
考えがあると思います。


もしこの記事を読んで
感じた事があればコメント欄に
書いていたければ嬉しいです。

今回は以上です
ではまた

おまけ
上の写真のお花は
お義母さんが咲かせた
ゴクラクチョウという花です!
(皆さん、ご存じですか?)
先日、咲いたと連絡が来て
写真を撮ってきました。

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